人事経済学を学ぶブログ

人事経済学という研究分野について解説したり,しなかったりします.

人事経済学ってなに?③:労働経済学と何が違う?

ひとことまとめ

  1. 人事経済学は労働経済学の下位分野.
  2. 労働経済学は外部労働市場(企業の外)に注目.
  3. 人事経済学は内部労働市場(企業の中)に注目.

はじめに

この記事では,人事経済学と労働経済学の違いを説明します.

 

Personnel economics is what labor economists teach when they work in business schools.

 (とあるジョーク)

 

 

労働経済学と何が違う?

大学の経済学部では,「人事経済学」という講義が提供されることは稀ですが,「労働経済学」という講義はだいたいどこでも開講されています.なので,経済学部卒の実務家の方から「労働経済学と人事経済学の違いは何ですか?」と質問を受けることがたまにあります.

労働経済とはその名の通り人々の働き方を経済学的に分析する学問です.人事経済学も人々の働き方を経済学的に分析するため,労働経済学に含まれると言えます.実際,人事経済学の研究者の多くは労働経済学の研究も行っていますし,なんなら「人事経済学者」よりも「労働経済学者」と自己紹介する人の方が多いです.

では,いったい何が違うのでしょうか?その答えはかなり明快で,労働経済学一般は外部労働市場に関心を持っており,他方で人事経済学は内部労働市場に関心を持っているという違いがあります.

まず,労働市場とは何かを説明します.労働市場とは,その名の通り労働が取引される仕組みのことです.誰に誰の労働力がどういう条件で配分されるのか,という取引が労働市場では行われます.この労働市場がその特徴に応じて,外部労働市場と内部労働市場とに分けることができます.

外部労働市場とは,労働者とそれを雇いたい企業が存在していて,誰がどの企業でいくらの賃金で働くのかということが決定される労働市場を指します.この取引が企業組織の外側で行われるために,「外部」労働市場と呼ばれています.基本的に,外部労働市場では,典型的な価格メカニズムが機能しており,企業の労働に対する需要量と,労働者による労働の供給量によって賃金が決定されます.他の財の市場の姿に近いのが外部労働市場です.

次に,内部労働市場です.内部労働市場とは,企業組織の内側における労働市場のことを指しており,それがゆえに「内部」労働市場と呼ばれています.内部労働市場では,企業の中でどの従業員をどの部署に配属するか,どの職位につけるか,賃金をいくらにするかといったことが外部労働市場とはやや独立した社内の規則や決裁者の判断によって決定されます.したがって,通常の市場メカニズムとは異なる法則で労働力の配分が決定されるという特異性があります.

内部労働市場は,通常の市場とは異なるメカニズムが働くため,その特異性に着目した分析が必要になるという訳です.人事経済学はそういった分析を志向していると言えるでしょう.以上が労働経済学と人事経済学の違いです*1

 

おわりに 

人事経済学と労働経済学の関係を説明しました.人事経済学は労働経済学の下位分野です.労働経済学一般は外部労働市場に注目し,人事経済学は内部労働市場に着目するという違いがあります.

 

 

*1:しかし,労働経済学と人事経済学を厳密に分けることは難しい場合もあります.たとえば,各企業が展開する採用施策の分析は,求職者と企業の関係として見れば外部労働市場の問題ですが,採用施策は社内の他の人事施策とも密接にかかわるため内部労働市場の問題としても捉えることができます. 

人事経済学ってなに?②:なぜ人事"経済学"なのか?

ひとことまとめ

  1. 人事経済学は人事の問題を数学的なモデルに落とし込むことで厳密な分析を展開する.
  2. 人事経済学は人事の問題に対して具体的で明確な解決方法を提供することに長けている.

はじめに

この記事では,人事を経済学で分析することのメリットを解説します. 

 

 

なぜ人事"経済学"なのか?

 組織や人事を分析する学問は人事経済学以外にもあります.たとえば,産業・組織社会学というものは,組織や人事をヒトとヒトとの繋がりという観点から分析します.また,産業・組織心理学は,人々の心理的な側面に着目して組織や人事を分析します.これらの分野は伝統的に,人的資源管理に関する研究の学問的支柱を担ってきました.

これらの人事・組織に関する伝統的なアプローチについて,人事経済学の父とされるエドワード・P・ラジアーは「問題を浮き彫りにすることかなり成功しているが,その解決方法を提供することに関してはあまり成功していない」と評価しています

Traditional analyses of personnel issues have been quite successful in outling the problems, though much less succesful in providng solutions to them.

(Lazear 1995, p.2)

他方,経済学に関して「解決方法を提供することにおいて比較優位を有しているが,問題を設定することにおいては比較劣位を有している」と評価しています*1*2

Economists have a comparative advantage in providing solutions but a comparative disadvantage in asking questions.

(Lazear 1995, p.2)

伝統的な人事・組織研究は広い視野を持っているため,さまざまな課題を発見することが得意であるということです.しかし,とても広いトピックの詳細な記述に取り組むがために,問題の解決方法に関しては尻すぼみになりやすいという欠点があるようです.対して,経済学は数学の力を借りて問題をフォーマルなモデルに落とし込むことで,厳密な分析を進めるため,問題の明確な解決方法を導出することが得意なのです.

また,経済学における統計学に相当する計量経済学という分野は,社会的な現象の因果関係を特定することが得意です*3.たとえば,新たな人事施策を打ち出したときに,その施策を評価するためには,その施策に効果があるのか,つまり施策と結果に因果関係があるのかを厳密に検証しなくてはなりません*4.これができないと,コストパフォーマンスを評価することもできないので,経営の観点から望ましくありません.計量経済学は因果関係を厳密に検証するための手法を提供しています.そのため,経済学は因果推論を得意としており,したがって,人事や組織の課題を解決する際にも有用なツールとなる訳です.

以上の通り,人事を経済学的に分析することには大きな有用性があります.それは,現実の問題に対して具体的で明確な解決方法を示唆してくれるという点です.したがって,人事の実務家は人事経済学を学ぶことで,多くのリターンを得ることが期待できると思います.

ただし,これは,人事に関する他の研究分野が無意味であるという主張ではありません.むしろ,それらの研究分野と人事経済学は補完的な関係にあると言えるでしょう*5Strategic Human Resources: Frameworks for General Managersという人的資源管理の教科書があるのですが,これの面白い特徴は2人の著者のうち1人が社会学者で1人が経済学者という点です.スタンフォード大学ビジネススクールのJames N. Baron教授とDavid M. Kreps教授が2人で書いた教科書で,Baron教授が社会学者でKreps教授が経済学者です.その教科書の前書きで,非常に興味深い一節があります.

We initially expected that "the Economics way of thinking" and "the Organizational Behavior way of thinking" would be substitutes for one another, and consequently that we'd educate students by debating the differences in how our disciplines viewed the world. We've found instead that the disciplines are complementary; each helps to fill in holes left open by the other, thereby sharpening and clarifying what the other has to say.

(Baron and Kreps, 1999, p.vii)

当初わたしたちは,「経済学的な考え方」と「組織行動論的な考え方」とはお互いに代替的な関係にあると予想していて,2つの分野の世界観の違いを議論することで学生の理解を深めることになると考えていた.しかし,やってみてわかったことはその2つの分野は補完的な関係にあるということだった.つまり,一方が他方によって残された穴を埋めることを助け,またそうすることによって,他方が言わんとしていることが明確化されると気づいたのだ.

(筆者訳)

組織行動論というのは社会学や心理学に基づいた学問で,伝統的な人的資源管理における主要なフレームワークとなっています.このように,経済学と社会学・心理学は補完的な関係にあるということが研究者の間でもしっかりと認識されています*6.また,人事の実務家にとっては,伝統的な人事・組織の研究分野を学ぶことは,人事の実情を知り,さまざまな問題を認識することの良い手助けになるはずです.

 

おわりに

 今回は,伝統的な人事研究分野と比較することで,人事を経済学的に分析することの長所と短所について論じました.人事経済学は,人事の諸課題に対して具体的で明確なソリューションを提供することに長けています.その有用性が多くの実務家の方に理解されることを祈ります.

 

おわり☺︎

 

 

 

参考文献

Baron James, N. and Kreps David, M., 1999. Strategic human resources: Frameworks for general managers, Wiley.

Lazear, E.P., 1995. Personnel economics, MIT press. 

 

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*1:比較優位とは,経済学用語で,ある主体がある財生産物の生産活動において,他の主体と比較して,より少ない費用で生産できることを言います.比較劣位はその反対です.ここでは,未知の問題の発見という成果と既知の問題の解決という成果を2つの財とみなしたときに,伝統的な人事・組織研究は前者の生産において比較優位を有し,人事経済学は後者の生産において比較優位を有するという意味です.

*2:『ヤバい経済学』のレヴィットも,経済学一般に関して同じようなコメントをしている点は興味深いです.

*3:ちなみに,データから因果関係を突き止めることを因果推論と言います.

*4:実務家によって行われている分析は,因果関係を捉えるためには十分ではないことが多く,誤った結論になっている可能性も低くはありません.

*5:補完性は経済学の概念で,一緒に使うことでシナジーが生まれるような関係を補完的であると言います.たとえば,フライドポテトとコーラは補完的な関係にあると言えるでしょう.反対の意味で,代替性という概念もあります.これは一方があれば他方がいらなくなるような関係を言います.たとえば,ビールと発泡酒は代替的な関係にあると言えるでしょう.

*6:興味深いことに,経済学と伝統的な人的資源管理は独立に発展を遂げていましたが,似たような概念が別の名前で呼ばれているという例もいくつかあります.たとえば,経済学では「関係的契約」という概念がありますが,ほとんど同じ意味を持つ「心理的契約」という概念が組織行動論にもあります.

人事経済学ってなに?①:人事経済学の定義

ひとことまとめ

  • 人事経済学とは人的資源管理の伝統的なトピックを経済学的に分析する学問.

はじめに

この記事では,人事経済学が何かを説明します.

 

 

人事経済学の定義

人事経済学とは,その名の通り,組織における人事を経済学的に分析する学問です.英語では,personnel economicsと言います.人事経済学の父と呼ばれるエドワード・P・ラジアー(Edward P. Lazear)は,人事経済学を次のように表現しています*1

Personnel economics is the application of economic and mathematical approaches to traditional topics in the study of human resource management.

 (Lazear and Oyer 2010, p.479)

和訳すると,「人事経済学とは,人的資源管理の研究における伝統的なトピックへの経済学的および数理的なアプローチの応用である」という具合になります.人事の実務家ならば,人的資源管理という言葉を聞いたことがあると思います.そこで扱われるようなトピック(例:採用,報酬,配置,離職など)を経済学のフレームワークや数理的な手法によって分析するのが人事経済学,ということです.

経済学の最も基本的な考え方は,人間はインセンティブに基づいて行動する,というものです.ある行動をとることが,ある人に利益をもたらすとき,その人はその行動をとるインセンティブがあると表現します.人々の行動はインセンティブに基づいて決定されていると仮定することで,特定の条件下での人々の行動を理論的に説明したり予測したりすることできます.たとえば,ある人事制度と別の人事制度を比較するとき,それぞれの人事制度のもとで従業員にどのような行動を取るインセンティブがあるかを分析することで,2つの良し悪しを理論的に厳密に比較することができるのです.

その他にもさまざまな経済学的なアプローチが活用されます.主体どうしの関係を戦略的相互依存関係として記述するゲーム理論や意思決定における情報の重要性に注目する情報の経済学などは,組織や人事制度を理論的に分析するために有用な概念を数多く提供しています.また,近年では,経済学のモデルに心理的ないし認知的な要素を取り入れた行動経済学も,職場における人々の行動をうまく説明できるフレームワークとして注目されています.

さらに,それらの理論を現実のデータから定量的に検証する計量経済学も重要なアプローチで,人事経済学における計量経済学は特にインサイダーエコノメトリクス(insider econometrics)とも呼ばれています.近年,研究者らが実際の企業や行政の人事データを利用できるようになるにつれて,人事データを分析した学術論文が数多く発表されるようになりました.人事データ分析によって得られる知見は実用的であることが多く,実務における意思決定のアシストになるため,実務家と研究者のシナジー効果がとりわけ大きい領域であるとも言えるでしょう.

これらの経済学的なアプローチに共通しているのは,分析が厳密であるという点です.経済学では,人々のさまざまな意思決定や行動を数学的なモデルとして記述します.そして,「人々はインセンティブに基づいて行動する」などのもっともらしい仮定をおいて,数学の力を借りながら,厳密にかつ論理的に議論を進めて結論を得ます.そのような方法を取ることで,現実の問題に対して厳密で論理的な解答を提供することができるという強みが経済学にはあります.

 

おわりに

人事経済学の定義を確認しました.人事経済学は,そのままの意味ですが,人事 = 人的資源管理に関する問題を経済学的に分析する学問です.数学の力を借りた厳密な分析が強みです.

 

 

おわり☺︎

 

 

 

参考文献

Lazear, E.P. and Oyer, P., 2009. Personnel Economics. Robert Gibbons and John Roberts. Handbook of Organizational Economics. 

 

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*1:正確には,ラジアーとポール・オイヤー(Paul Oyer)の共著論文の中にある記述です.

このブログについて

はじめに

この度,「人事経済学を学ぶブログ」と題してブログを書いていくことにしました.このブログでは,人事経済学と呼ばれる学問について,基本的な考え方を解説したり,おもしろい研究を紹介したりします.今回は,このブログの趣旨についてお話しします.

 

わたしは誰?

わたしは北川梨津という名前の大学院生です.Twitterこちら早稲田大学大学院経済学研究科で人事経済学を研究しています.

 

なぜ始めるのか

このブログを始める理由は以下の3つです.

  1. 自分の勉強のマイルストーンとして使いたい.
  2. 世の中に人事経済学の知見を提供したい.
  3. 人事の実務家に人事経済学の有用性を伝えたい.

 一つ目の,「自分の勉強のマイルストーンとして使いたい」というのは文字通りの意味です.インプットした知識をアウトプットして記録する場として,このブログを用います.

二つ目の,「世の中に人事経済学の知見を提供したい」というのは,このブログが,人事経済学の知見をノンテクニカルに解説しようという試みであることを意味しています.わたしは社会を良くしたいという思いで経済学をやっているので,その実践の一環とも言えます.人事経済学は経済学の中でも高い実用性を備えた分野だと思います.なので,その知見が広まれば,社会がほんの少しは良くなると考えています.

三つ目の,「人事の実務家に人事経済学の有用性を伝えたい」というのは,切実な動機です.わたしの専攻している人事経済学の実証研究(≒データ分析による研究)では,企業との共同研究がマストです.というのも,人事経済学の実証研究は,人事データという極めて秘匿性の高いデータを企業の人事担当者から提供してもらないと成り立ちません.つまり,これはわたしが博士号を取れるか取れないかの死活問題です.

最近では経済学の有用性が日本でも注目されるようになっていますが,伝統的に(?),経済学は机上の空論で現実のビジネスには役に立たない,というイメージが強いようです.わざわざ経済学者と共同研究することのメリットが十分に理解されているとはまだまだ言えないと思います.

さらに,人事データは個人情報であるということもあって,多くの企業はあまり協力的ではありません.また,人事データの分析に関して,「従業員を搾取している!実験台にしている!」などの負のイメージを持つ人も少なくないです.

そこで,多くの企業に協力してもらうためには,人事経済学・人事データ分析の有用性と倫理性を理解してもらう必要があると思い,その取り組みの一環として人事経済学に関するブログを書いてみるのが良いのではないかしらと考えたのです.

 以上3つの理由から,このブログを始める次第です.

対象となる読者

  • 人事の実務家
  • 人事経済学に関心のある学生
  • (経済学を研究している玄人)

人事の実務家をメインの読者として想定し,経済学の知識がなくても大丈夫なように,なるべく配慮して書いていきます.経済学を研究している玄人の方は,間違った記述があった場合には優しくご指摘ください.

 

扱うトピック 

 今のところネタ帳にあるものをいくつか列挙すると……

などなど.その他にも,実務における人事データ分析(ピープルアナリティクス)などに関しても議論したいと思います.

 

おわりに

よろしくお願いします!

 

おわり☺︎