人事経済学を学ぶブログ

人事経済学という研究分野について解説したり,しなかったりします.

人事経済学ってなに?②:なぜ人事"経済学"なのか?

ひとことまとめ

  1. 人事経済学は人事の問題を数学的なモデルに落とし込むことで厳密な分析を展開する.
  2. 人事経済学は人事の問題に対して具体的で明確な解決方法を提供することに長けている.

はじめに

この記事では,人事を経済学で分析することのメリットを解説します. 

 

 

なぜ人事"経済学"なのか?

 組織や人事を分析する学問は人事経済学以外にもあります.たとえば,産業・組織社会学というものは,組織や人事をヒトとヒトとの繋がりという観点から分析します.また,産業・組織心理学は,人々の心理的な側面に着目して組織や人事を分析します.これらの分野は伝統的に,人的資源管理に関する研究の学問的支柱を担ってきました.

これらの人事・組織に関する伝統的なアプローチについて,人事経済学の父とされるエドワード・P・ラジアーは「問題を浮き彫りにすることかなり成功しているが,その解決方法を提供することに関してはあまり成功していない」と評価しています

Traditional analyses of personnel issues have been quite successful in outling the problems, though much less succesful in providng solutions to them.

(Lazear 1995, p.2)

他方,経済学に関して「解決方法を提供することにおいて比較優位を有しているが,問題を設定することにおいては比較劣位を有している」と評価しています*1*2

Economists have a comparative advantage in providing solutions but a comparative disadvantage in asking questions.

(Lazear 1995, p.2)

伝統的な人事・組織研究は広い視野を持っているため,さまざまな課題を発見することが得意であるということです.しかし,とても広いトピックの詳細な記述に取り組むがために,問題の解決方法に関しては尻すぼみになりやすいという欠点があるようです.対して,経済学は数学の力を借りて問題をフォーマルなモデルに落とし込むことで,厳密な分析を進めるため,問題の明確な解決方法を導出することが得意なのです.

また,経済学における統計学に相当する計量経済学という分野は,社会的な現象の因果関係を特定することが得意です*3.たとえば,新たな人事施策を打ち出したときに,その施策を評価するためには,その施策に効果があるのか,つまり施策と結果に因果関係があるのかを厳密に検証しなくてはなりません*4.これができないと,コストパフォーマンスを評価することもできないので,経営の観点から望ましくありません.計量経済学は因果関係を厳密に検証するための手法を提供しています.そのため,経済学は因果推論を得意としており,したがって,人事や組織の課題を解決する際にも有用なツールとなる訳です.

以上の通り,人事を経済学的に分析することには大きな有用性があります.それは,現実の問題に対して具体的で明確な解決方法を示唆してくれるという点です.したがって,人事の実務家は人事経済学を学ぶことで,多くのリターンを得ることが期待できると思います.

ただし,これは,人事に関する他の研究分野が無意味であるという主張ではありません.むしろ,それらの研究分野と人事経済学は補完的な関係にあると言えるでしょう*5Strategic Human Resources: Frameworks for General Managersという人的資源管理の教科書があるのですが,これの面白い特徴は2人の著者のうち1人が社会学者で1人が経済学者という点です.スタンフォード大学ビジネススクールのJames N. Baron教授とDavid M. Kreps教授が2人で書いた教科書で,Baron教授が社会学者でKreps教授が経済学者です.その教科書の前書きで,非常に興味深い一節があります.

We initially expected that "the Economics way of thinking" and "the Organizational Behavior way of thinking" would be substitutes for one another, and consequently that we'd educate students by debating the differences in how our disciplines viewed the world. We've found instead that the disciplines are complementary; each helps to fill in holes left open by the other, thereby sharpening and clarifying what the other has to say.

(Baron and Kreps, 1999, p.vii)

当初わたしたちは,「経済学的な考え方」と「組織行動論的な考え方」とはお互いに代替的な関係にあると予想していて,2つの分野の世界観の違いを議論することで学生の理解を深めることになると考えていた.しかし,やってみてわかったことはその2つの分野は補完的な関係にあるということだった.つまり,一方が他方によって残された穴を埋めることを助け,またそうすることによって,他方が言わんとしていることが明確化されると気づいたのだ.

(筆者訳)

組織行動論というのは社会学や心理学に基づいた学問で,伝統的な人的資源管理における主要なフレームワークとなっています.このように,経済学と社会学・心理学は補完的な関係にあるということが研究者の間でもしっかりと認識されています*6.また,人事の実務家にとっては,伝統的な人事・組織の研究分野を学ぶことは,人事の実情を知り,さまざまな問題を認識することの良い手助けになるはずです.

 

おわりに

 今回は,伝統的な人事研究分野と比較することで,人事を経済学的に分析することの長所と短所について論じました.人事経済学は,人事の諸課題に対して具体的で明確なソリューションを提供することに長けています.その有用性が多くの実務家の方に理解されることを祈ります.

 

おわり☺︎

 

 

 

参考文献

Baron James, N. and Kreps David, M., 1999. Strategic human resources: Frameworks for general managers, Wiley.

Lazear, E.P., 1995. Personnel economics, MIT press. 

 

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*1:比較優位とは,経済学用語で,ある主体がある財生産物の生産活動において,他の主体と比較して,より少ない費用で生産できることを言います.比較劣位はその反対です.ここでは,未知の問題の発見という成果と既知の問題の解決という成果を2つの財とみなしたときに,伝統的な人事・組織研究は前者の生産において比較優位を有し,人事経済学は後者の生産において比較優位を有するという意味です.

*2:『ヤバい経済学』のレヴィットも,経済学一般に関して同じようなコメントをしている点は興味深いです.

*3:ちなみに,データから因果関係を突き止めることを因果推論と言います.

*4:実務家によって行われている分析は,因果関係を捉えるためには十分ではないことが多く,誤った結論になっている可能性も低くはありません.

*5:補完性は経済学の概念で,一緒に使うことでシナジーが生まれるような関係を補完的であると言います.たとえば,フライドポテトとコーラは補完的な関係にあると言えるでしょう.反対の意味で,代替性という概念もあります.これは一方があれば他方がいらなくなるような関係を言います.たとえば,ビールと発泡酒は代替的な関係にあると言えるでしょう.

*6:興味深いことに,経済学と伝統的な人的資源管理は独立に発展を遂げていましたが,似たような概念が別の名前で呼ばれているという例もいくつかあります.たとえば,経済学では「関係的契約」という概念がありますが,ほとんど同じ意味を持つ「心理的契約」という概念が組織行動論にもあります.